ボクは思考する #1
曇天のもと、走りながらボクは思考する。
大人になるということは、自分を嫌いになるということだ。
装飾した自分と本当の自分とがどんどん乖離していく。
端から見た今のボクは、明るく、気さくで、小さなことは気にしないタイプに見えているだろうし、そう見えるように装って来た。
幼いころは装わなくても気にならなかった。人から嫌われることも厭わなかったし、もっと素直に自分でいられた。
一人でいることも、みんなでいることも、何も意識せずにただそこに存在できていた。
若いころは、装飾すること自体をもっと楽しめていた気がする。
偽物のボクをきれいにも思っていたし、その装飾自体が持っている便利さの恩恵にも預かっていた。
いつ頃からだろうか?
自分が自分でなくなったのは。
そんな自分があまり好きじゃなくなったのは。
そもそも今の自分は自分じゃないのか?
装飾したボクはボク?
装飾してないボクはボクじゃない?
見上げた空は、まだ灰色の雲でおおわれている。
ボクは思考を再開させる。
ボクは嘘つきだ。
でも嘘は嫌いだ。
ゴテゴテと装飾を施した表向きのボクをもう一人のボクが見つめる。
わがままで、自分のことしか考えてなくて、暗くてじめじめしていて、ウジウジ考え込んでいるボクが。
本当は嫌な仕事を頼まれても、ニコニコしながらやりますと言っているボク。
「大変そうだね」と言われて「そうでもないよ」と強がっているボク。
「もう無理」と本当は泣きたいくらいなのに、何でもないような顔を無理矢理作るボク。
頭の中は愚痴で一杯なのに、一生懸命ひた隠しにしているボク。
飾りすぎて汚ならしい。
嘘っぽくて偽善的。
軽々しすぎて薄っぺらい。
そんな偽物のボク。いつの間にか入れ替わってしまった。
本当のボクをボクとして認めてくれる人がいなくなるくらいに。
でも…
そんな偽物のボクを眺めていると、いとおしく感じてしまうのもまた事実。
「大変ですね」って声をかけられる。みんなにはばれてるってこと。詰めが甘い(笑)
「本当はネクラなんだよ」と明かして「全然見えないですね」って言わせて、プチ安心を求めたり。
人の愚痴を聞いて「ボクもそうだよ」って自分にも愚痴があることをさらりと言ってみたり。
その装飾をよく見てみると、ボクらしさがちらほらと散りばめられているのに気がつく。
「なんだ。結局ボクじゃん。」
どんなに飾ったって、汚ならしいボクが顔を覗かしている。
まだ残っていた嘘っぱちだらけのボクの中の、小さなボクのひとすくい。
どんだけカッコつけたって、道化を装ったって、みんなにはばれてるんだろうな。
ウジウジと。じめじめと暗く考えた結果。
少しだけ上を向くことができた。
立ち止まり、友達のSNSにいつもなら書かないような弱々しい返信。
ボクの底の方に沈んだ弱いボクを小さく隠して吐露。
見上げた空はまだ曇天。
曇り空だとやっぱり思考も曇る。
そんな思考のまま走り終えれば、なんとかダマシダマシ前を向ける。
ランニングの素敵さに少しだけ微笑む。