ほめ学#2
ほめることが大切だという理由の二つ目です。
ほめ学#1で書いた良好な関係から繋がって来るのですが、ほめることの利点は、叱ったり怒ったりするよりはるかに人を成長させることができるという点でしょう。
これも、そりゃそうだと思われることでしょう。
叱ったり怒ったりすると、相手は「でも」「だって」と、反発する気持ちになります。まぁ攻撃されると防御する、当然の行動なのですが、反発されるとされた側もまた「でも」「だって」で返してしまうのです。(しつこいですが、ボクもできません。反発しちゃいます😁)
これを繰り返しても不毛なのは、火を見るより明らかです。
叱った内容は正しくたって、相手が防御してる状態では、正しく受け取ってもらえません。
「ほめる」を使うと、受け取ってもらいやすいのです✨
そりゃそうですよね。ほめられてるのに、それを必死になって否定し続けることはできませんよ。まぁ表面上は「そんなことないですよー」とか「全然ダメだよ」って、否定して見せますけど、心では受け取ってますよね。
それで、ほめられた後どうなるかと言えば、そのほめられた行動をもう一回やろうという気持ちになるのです✨
これも当然ですよね。ほめられると嬉しいので、もう一回ほめられたくなり、もう一回やるのです。
叱られたら、それが嫌でやめるんじゃない?っていう考え方もあります。
それはそれで正しいです✨
嫌なことを避けようとするのも、当然の行動なので、やめるかもしれません。
でも、「叱られた行動をやめる」のであって、「してほしい行動をする」ではないのです。(わかるかなぁ?)
人によっては「叱られたのと近い行動はする」になっちゃうんです。(わかります?)
的当てゲームみたいなもので、ほめられた方はほめられた行動という的を狙って、行動できるのに対して、叱られた方は叱られた行動以外を狙って行動しなくてはならないのです。
的が大きすぎて、どこを狙ったら良いのか途方にくれちゃいません?
ほめられると自分で行動しやすいので、どんどん行動してほめられる行動を増やして行けるのです。
一方、叱られるとどうしたらよいかわからなくて、行動できないのです。
行動しようとしたら、ラッキーを狙って見るしかないのです(少々極端ですが)
というわけで「ほめる」は、人の行動を変える力があるのです✨
ほめ学#1
さてさて、ほめることって何で大切なのだろう。
まずはそこら辺から。
ほめることは大切だということは、誰もが納得することでしょう。
でも何で?って聞かれるとボクだって困ってしまう。
そこのところを考察してみた。
まず第一に、
ほめられると嬉しい‼
当然のことだけど、この事につきるといっていいほど、大切なファクターだと思う。
ただ「相手に優しくしてあげましょう」的なお道徳の話ではなくて、テクニカルな意識を持つことが大切。
もっとドライである意味でのクールさを失わないこと。
「優しい」はそもそも判断基準が曖昧で、幅が広い。そして何より、パーソナリティーなので個人的な資質によるところが大きいでしょう。
プロフェッショナルとしては、そんなところ目指していたらコストパフォーマンスが悪すぎます‼️(ボクはもちろん優しくないですよ。つまり資質はないのです😢)
まぁ脱線しそうなのでこの辺でやめにしときますが、要は「ほめる」ことは優しくなくてもできるテクニックであること。これを前提に話を進めます。
嬉しいことをされた側は、当然のことなのですが、してくれた人を好きになります✨まぁ好きと書くと誤解を招きますが、その人といることを心地よく感じます。(この時、された側はした側を「優しい」と感じます。でもした側は自分を「優しい」なんて思っちゃダメですよ。あくまでもテクニックですからね。)
心地よく感じる人の言うことは、すんなり心に入るし、肯定的にとらえやすくなります。
この状態を良好な関係が築けたというのだと思います。
良好な関係を築くことは、対人援助(しつこいがこの言葉もボクは苦手)の全てだとボクは考えていて、それがないと支援(さらにしつこいがこの言葉も(笑))が成り立たない。
極端な話、良好な関係が築けてないのに、支援しているということは、相手が我慢して付き合ってくれてるってことで、そんなのお金もらっちゃダメでしょ‼️ってボクなら思っちゃいます。(もちろん人間な訳だから、好みや苦手な人はいます。でもそこに向かう姿勢は必須‼️これもまた機会があれば、まとめたい。)
よって、対人援助に携わる人であれば、「優しい人」なんて者を目指すのではなくて、「ほめるのが上手な人」を目指すべきなのです‼️
また脱線。
要は、「嬉しい」から派生する付加価値が大きいってこと。
そんな打算的にほめたら嫌らしくない?って?
だからテクニックなのです‼️
打算で結構なのです‼️
狙ってほめるのです‼️
相手との良好な関係を築くために‼️
ただし‼️絶対に相手にばれてはだめです‼️(笑)
そこのところもおいおい(笑)
ほめ学#0
職業柄、ほめることの大切さを実感している。
がっ!ほめるってとっても難しい‼
ボク自身も、ほめる言葉よりも注意する言葉をかけていることの方が多いのが現状だ。
よく聞くのが「ほめるところがない」「ほめることをしてくれない」との意見。
確かに、子どもと一緒にいると、ほめるところが見つからないと感じることが多々ある。
でもでも、人を育てる(本当はこんな偉そうな表現はしたくないが、今回は本筋とはずれるのでこの表現で勘弁。この辺はまた今度ブログにまとめたい。)仕事をしている以上は、「見つからない」→「ほめない」は、なしだと思うのである。
人を育てようとした場合に、人をほめる以上に効率的な方法は、ボクには今のところ見つけられない。
で、あるのであれば、どんな状況でも「ほめる」ことができるようになるべきであり、それがプロフェッショナルというものではなかろうか。(これまたボクがプロフェッショナルであると言いたいわけではない。あくまでもそこを目指す姿勢は必要だと感じているだけで、ボクだって偉そうなことは言えない😢しかしこれも本筋とは離れるので…偉そうな表現ですみません。)
で、ボク自身が日頃「ほめること」について考えたことをまとめて、自分自身がほめ上手になるために、活かしたい。
ゆくゆくボクがほめ上手になり、後輩やほめたいけどほめるのが苦手な人が、「ほめ上手になるためにはどうしたらいいですか?」って聞かれたときのために、(そんな日は来ない可能性の方が高いけど…)思い付きなんかをまとめておくことは、そんなに無駄じゃない‼️(と奮い立たせないとやってられん✨)
そんなエピソード0(笑)
ボクは思考する#7
早く目覚めた朝、ボクは思考する。
ここのところ走っている最中に深い思考に落ちなくなった。
抱えていた問題がいくつか片付き、モヤモヤが晴れたことが大きな原因のひとつであると思われる。
悩みがなくなってきていることは、よいことなのだけれども、考えることが好きなボクとしてはなんだか寂しい気もする。
昨日のランニングの時には、自分がどこに向かっているのかを考え始めたが、途中で思考が途切れて、ネット将棋の反省会になってしまった。
それはそれで幸せな時間だったのだけれども、モヤモヤしていたあのとき没頭できていた時間はそれはそれでいとおしい。
そんなわがままにあきれてしまう。
まぁ一つ一つを大切にして今日も1日のんびりいこうと思う。
ボクは思考する#6
今日も曇天。走りながらボクは思考する。
ここのところのモヤモヤが嘘のように、晴れやか。
穏やかな気持ちで走り始めた。
実は穏やかな気分になったのは、ここのところ抱えていた問題が、一応上向きになったからだ。
一つ一つのモヤモヤが、ほどけていく感覚。
悩みはつきないけれども、それでも前を向かなければいけない状況。
基本的にネガティブに生きてきたからこその、ポジティブさ。
なぜ生きなければならないのか。
苦しまなければいけないのか。
苦しみの中、そこから脱する方法を模索してもがく。
もがく意味を探して。もがく意味がなくても。
もがくことが、生きることそのものであるように、ボクはいきるのだ。
走るために走る。
走ることに意味があるのだとすれば、生きることに意味がないことを再確認できることぐらいなのかもしれない。
ボクは思考する#4
晴天のもと、走りながらボクは思考する。
今日は穏やかに、さっきまでやっていたネット将棋の考察から入る。
以前からランニング中に将棋のことを考えることが多かったのをふと思い出す。
将棋とランニングの相性はよいように思う。
どちらも思考に深く潜り込むからだ。
一向に将棋もランニングも芽はでないが…
将棋も弱いため、反省することが多い。(それ以外のことでも反省することが多いが。)
しかし考えることは楽しいとつくづく思わされる遊戯だ。
思考は移り、仕事のことへ。この前のようなうつうつとした思考には向かわずにすんだ。
天気がよいせいであろうか。
気分がよい。
コンビニに到着。ジャンプを立ち読み。
ONE PIECEしか読まないので、立ち読みでご勘弁を。
帰りは、なんだか前向きな思考へ。
プライベートなことなので(プライベート以外のことがボクにあろうはずもないが。)書くことは避けるが、とても気分がよい。
あとは進むだけみたいな。前向きさ。
まあ進むと決めた時点で、どこに行こうとも前向きではあるが、その事にまた気がついたような前向きな思考。
本当に本当に気分がよい。
コンビニを挟んだ10㌔終了。
晴れ渡る空に、ボクの底にたまったひとすくいの穏やかさ。
なんともはや心地よい一日であった。